玉 櫛 笥
光源氏との儚い恋の戯れ…本気にしてはいけなかった…。
諫めても心が、わたしの魂があの方のもとへ…
玉櫛笥
ちょっとうんちく
玉櫛笥の意味は
櫛笥は櫛をいれておく化粧箱のこと。玉は美しいという意味で玉櫛笥は美しい化粧箱のことです。
蓋をあけたり、しめたりするので和歌の「ひらく」「あける」の枕詞や「ふた」「おおう」などの掛詞になりました。言葉遊びは日本の伝統なんですねぇ。
メールで飛び交っている遊び言葉にこんな素敵な言葉がでてきたら、ちょっと嬉しいかな。
六条御息所と玉櫛笥
長く美しい黒髪は平安時代の美人の証です。ですから、黒髪を梳く櫛は女の魂ともいえる大事な化粧道具でした。この作品では櫛を愛の象徴として使っています。
能の「野宮」には、六条御息所が鳥居の外に足を踏み出そうとして踏み出せない場面があります。作者はその心情を、櫛を捨てきれずに玉櫛笥に納め、ふたで覆い隠すことで、深い苦悩と業を胸の内に秘めた六条御息所の想いに重ねています。つまり、このタイトルがテーマにもなっているのですね。
ちなみに、葵の上も六条御息所とおなじように育てられた女性です。右大臣家と左大臣家は権力争いをしていて、帝の后が右大臣家の出身。その息子が今の東宮です。光源氏は帝が寵愛した女性の子供・皇子ですが朝廷では強力な後ろ盾がなかったので帝の計らいで左大臣家の娘である葵の上と結婚しました。つまり、政略結婚です。東宮も葵の上に求婚していたのですが、后の権力が強くなりすぎるのを牽制したかった帝の配慮がここに働いています。そして、光源氏を守る為に臣下として源氏の姓を与えるのです。運命に翻弄された葵の上は悲しい女性です。ホント、源氏物語に出て来る女性達はあまり幸せな人は登場しませんね。男達に背負わされた運命に耐えています。でも、六条御息所はあがらい、もがき、苦しみます。思いを捨てきれないで苦悩するのです。
和歌と六条御息所
光源氏はちゃんと源氏物語の中で、六条御息所は上品で教養が高く奥ゆかしい優雅な女性の第一と評しています。風流を好む人々が寄り集まるほどの女性です。なにしろ彼女は、皇后となるべき女性として育てられた東宮の后でした。だから紫式部は光源氏と六条御息所の恋に和歌を使っています。
玉櫛笥と和歌
☆ 影をのみ みたらし川のつれなきに 身のうきほどぞいとど知らるる
☆ なげきわび 空に乱るるわが魂を 結びとどめよしたがひのつま
源氏物語の中で六条御息所が歌った和歌です。
なんと切ない言の葉でしょう。
ところで、古今集の恋歌の中に
☆ 恋しきに わびて魂まどいなば 空しきからの 名にや残らむ
という和歌がありますが、影響を受けていることが解ります。
これは、本歌どり、という日本の伝統的な技法です。いわゆるアレンジですね。
でも、六条御息所の歌の方が切実な女心が伝わってくるように思います。
☆ 鈴虫の 声の限りを尽くしても 長き夜あかずふる涙かな
☆ うち払う 袖も露けき常夏に あらし吹きそふ 秋も来にけり
もうおわかりですね。この和歌は風景描写になっていますが、鈴虫の鳴く声は、ひとり泣きながら夜を過ごす姿が重ねら れていますし、秋は厭きという意味です。
☆ 枯野の原の露の身の 濡るる衣に松虫の声 明けぬ夜明けの哀れなる 影と消えらむ秋の月
☆ 花の散る 春の山風よきて吹け 桜かざして惑いぬるかな
玉櫛笥の中に使われている琵琶歌や和歌も、源氏物語が和歌の物語であるように、こうした和歌の影響を受けています。
源氏物語
光源氏といえば美男子をイメージするほどですが、その光源氏が主人公の物語が源氏物語で、平安時代の紫式部という女性が書いた世界的に有名な長編恋愛小説だと知っていても、ちゃんと、原作を読んだことのある人はあまりいないのじゃないかしらん。そう、読んでいないのに、なんとなく知っているというひとが多いですよね。なにしろ、後世の様々なジャンルに影響を与えてきた源氏物語ですからね。美術絵画はもちろんのこと、江戸時代には柳亭種彦が偐紫田舎源氏などというパロディ本まで出しています。もちろん今だって新しい作品が生まれています。ですから、原作は読んでいないが、作家の○○ので読んだことがある。映画を見た。能の「葵の上」などでという方は多いですね。
実は、私もそのひとり…さて、舞台の玉櫛笥はどんな源氏物語を見せてくれるでしょう…お楽しみに。
登場人物
玉櫛笥には光源氏は登場しません。なにしろ、五十四帳もある大長編なのです。それを短縮するには無理があります。光源氏との恋のお話も良いのですが、本音をいいますと、作者は光源氏が好きになれなかったのだそうです。六条御息所の立場で考えるとどうしても酷い男になってしまう。書いてもみたものの、これは六条御息所の物語です。いっそのこと、光源氏は消してしまえ!! というわけで、玉櫛笥から消えました。たまげた!!
六条御息所は夫の東宮が亡くなると社交界から身を引いてひっそりと暮らしています。たぶん、彼女はそういう暮らしを気に入っていたと思います。帝からの誘いも断っているぐらいですからね、社交界に未練はなかったと思います。ただ、彼女が夫と死に別れたのは20歳。そして10年が過ぎています。やはり女として寂しい暮らしに違いなかったと思います。尼さんになったわけではありませんからね。
でも、何しろ身分が高かった女性です。釣り合う相手になるような男がいません。この時代の貴族は特に身分の評価が落ちないように、良くみられるようにものすごく努力して、世間の評判ばかり気にして生きていますからね。( 評価を気にする今の時代は先祖帰りしているのかも… )だから六条御息所も気位は高かった筈です。
そんな時に光源氏に求愛されたら、やっぱり嬉しい。しかも7歳年下のとびきりの美男子で、帝の寵愛する皇子ですからねえ。現代ならさしずめバツイチのキャリアウーマンと年下の御曹司との恋というところです。
相手が誠実な男なら、幸せだったと思います。でも、この時代の貴公子は誠実とはほど遠い存在です。いや、この誠実というのは近代の思想で、身分のある男が女達を渡り歩くのは普通のこと。当時の感覚からいえば、女性にやさしい光源氏はむしろ誠実な男ということになる、う〜む、ただ、たしかに不誠実ではないかもしれないけれど、女としては他の女に心を移して欲しくない、その気持ちは今も昔も同じです。離れてしまった男への怨みの和歌はたくさんあります。六条御息所の心は理性・建前を離れて狂ってしまう。鬼になって祟るのです…。
六条御息所の側に仕えている御許は、原作では朝顔という名の可愛い女性ですが、源氏物語には源典侍という老女が登場します。彼女は若作りをして色恋の心を持っているままなので、光源氏と頭中将にからかわれます。57、8才とありますから、今でいうと70代ぐらいなので当時としては老女に違いないのですが、せつない女性の性を感じます。いくつになっても若くありたい。それは男も女も同じ願望ですからね。年甲斐もないという言葉は残酷です。ホント、若いということは残酷だと思います。というわけで、御許は、源氏物語に登場するそんな女性達を混ぜ合わせて作者が作った女性です。いくつになってもちょっとクセのある可愛い女のイメージです。
葵の上のことを考えますと、当時の身分の高い女性の立場というのが分かります。帝の次ぎに権力のある地位につくことができる家に生まれたことで、彼女は幸せになれません。光源氏と政略結婚をさせられた時は16歳ですが、なんと夫となる光源氏は13歳の少年です。リードしてもらいたいのに、リードなんかしてもらえないどころか自分がリードしなければならない。たとえ政略結婚だとしても相手が大人だったらこんな戸惑いはおきなかったことでしょう。光源氏にしても夫婦として馴染めない。無理もありません。だから、ふたりの間には大きな溝ができます。でも、光源氏も大人になって、ようやく夫婦らしい語らいができはじめます。葵の上は妊娠しますが六条御息所に祟られて殺されてしまうのです。
女房は葵の上のお側付きです。つまり御許と同じような立場です。こちらの方はおしゃべり好きで身贔屓な人の良い人柄。でも、世知にも長けています。
この4人の女達がもうひとつの源氏物語の世界を繰り広げます。
作者がこれを書いた時は…
後悔のない人生などあるのかしら。だって、人は愚かしい生きものだと思うのです。六条御息所のようにです。私も弱い自分に腹をたて、いつだって自信のないままに生きてきたので、なんとなく自信家は信用できないです。それに、介護の現場を知ると、結局は同じだなと思うのです。どんな人も同じように誰かのお世話にならないと生きていけません。それならと思うのです。自分が出来る間は出来ることを、ただ一生懸命にやろう。芝居は人生の束の間の安らぎです。皆さまに喜んでいただけるような物語を書きたいと思っています。玉櫛笥を楽しんでいただけたら嬉しいです。(作者談)
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