⌘ 令和と梅とオクニ
令和の言葉はは万葉集第五巻の梅花の歌を詠む宴の
序文から採り入れています。
初春の令月にして 気淑く 風和らぎ
梅は鏡前の粉をひらき
蘭は珮後の香を薫ず
私は芝居の中でオクニの人生と梅の花を重ね
オクニに歌わせ踊らせています。
白雪のつもる梅が枝 花一輪に 春風のせて
恋しきひとをしのぶ涙も はらほろり
令和元年の年に梅左芝居の新作『出雲のオクニ』を公演する
ことになり偶然にも梅繋がりの巡れ合わせになりました。
写真で綴る舞台
配役変更のお知らせ
このたび、女院役で出演をされることになっておりました
白石奈緒美さんがご逝去されました。配役が前園恵子に変更
になりましたことをご報告申し上げます。
白石奈緒美さんのご出演を楽しみにして頂いておりました
皆さまにはご心配とご迷惑をおかけしましたことを深くお詫
び申し上げます。
白石さんは長年にわたり梅左芝居にご出演をいただいてま
いりました。『出雲のオクニ』も楽しみにされ、お元気に衣
裳合わせや稽古においでになっておりました。急逝されまし
たことが誠に残念でなりません。皆さまにも悲しいお知らせ
となってしまいました。ここにご冥福をお祈り申し上げます
と共に、この芝居を成功させることが御供養になると関係者
一同、心して務めております。
今後とも変わらぬご声援を賜りますよう宜しくお願いを申
し上げます。
オクニが生きた時代
オクニが生まれる前
動乱の南北朝から室町時代、そして戦国の世へ
南北朝の争いで都が荒廃し貴族など支配階級が没落するとともに力を持ったのは
下層階級の武士と町衆だった
そして、武士と町衆は猿楽能と風流踊りを生んだ
戦国の世になり
織田信長から豊臣秀吉、そして徳川家康へと天下は大きく動く
安土桃山文化が開花して
貴族趣味から脱した文化は最高潮を迎えた。
新しい政治体制と新しい文化が誕生した下克上の時代に
出雲のオクニは生き
家康が征夷大将軍の宣旨を受けた年に
《カブキ踊り》を創った
オクニの《かぶき踊り》
オクニの生きた時代は、下克上の気分が残る享楽的で刹那的で自由闊達な世の中だったといえます。人生に対するエネルギーに満ちていた時代ともいえます。
この頃に流行した隆達小歌があります。
月よ花よと 暮らせただ 意訳 月や花を愛でて暮らしなさい
程はないもの うき世は 人の欲には際限がありません
泣いても笑ろても 泣いても笑っても
行くものを 人生の時は過ぎていきます
月よ花よと 遊べただ ですから、月や花を見ている方が
良いですよ。
中世の小歌を集めた『閑吟集』にも
何しょうぞ くすんで 意訳 なんですか そんな浮かない、
一期は夢よ ただ狂へ しかめ面をして
人の一生など夢みたいなものです
さぁ、踊り狂いましょう
面白いほど、気持ちがストレートです。
後白河法皇の時代の梁塵秘抄の中にある屈折した歌とは随分違います。
オクニの《かぶき踊り》は、こうした気風の人々に支持され人気を得ました。
1605年頃になるとオクニの《かぶき踊り》を真似た者たちが現れます。
京都の傾城街の遊女屋の主の佐渡嶋正吉が遊女達に《阿国のカブキ踊り》を踊らせて流行らせました。歌舞伎という文字は後世になってからで、江戸時代までは芸妓と同じ歌舞妓という文字が使われていました。芸妓は歌や舞をする遊女という意味です。こうした遊女カブキや童男カブキ、若衆カブキなど、オクニのかぶき踊りを真似る一座が多く出ました。彼らはオクニの新しい踊りの担い手として地方の大名に招かれるなどしながら諸国に下って、地方芸能にも大きな影響を与えました。そして、阿国の《カブキ踊り》は上方歌舞妓、江戸歌舞妓へと発展していきます。
現在は歌舞伎として世界文化遺産になりました。
出雲のオクニ制作スタッフ
監修 嵐 橘三郎
作・演出 堀川登志子
作曲・作調 望月太左衛
浄瑠璃節付 竹本越孝
振付け 神崎貴孝
舞台美術 UMEZA
書 堀野哲仙
衣装 UMEZA 佐藤利
照明 朝日一真
舞台監督 川前英典
演出助手 竹林史絵
記録撮影 北畠良
写真 西田博幸
撮影 加藤英弘
制作 小林紀美子(Project coco)
鈴木峰子
制作協力 平樹典子(オフィス樹)