平家物語と花喰鳥と琵琶
ちょっとうんちく
祇王と義王
平家物語に登場する白拍子の祇王は義王と同じ人物です。どの平家物語を選ぶかで、登場人物の名前が違っていたりします。
というのは、訳者の解釈によって、数ある平家物語の中からどれを底本に選ぶかで違ってくるからです。平家物語はひとつの物語ですが源氏物語のように文章で書かれた作品ではないからです。
平家琵琶という語りの音楽があります。琵琶法師によって語られる音楽ですが、その琵琶法師達にによって伝えられてきた物語なので時代を経るに従い、それぞれの伝承される言葉や状況説明に違いが生じたのです。
祇王は白拍子と清盛の物語ですが、祇王は巻第一の吾身栄花の後に語られています。義王の方は百二十句本にあって巻第一で語られるのは同じですが第四句の額打論のあとの第五句で語られています。
この額内論ですが、祇王の後に語られるものもありますから、平家物語というのは本当にいろいろあり、一つのものを読んだだけでは深く理解するのは難しいかもしれませんが、諸行無常の世界観で貫かれているのは同じです。
現在、大きく分けて広本系(読み本として伝わる作品群)と略本系(口伝を書き留めた語り本の作品群)とその中間に位置する作品群があります。また、略本系には一方流の系統と八坂流の系統があり、一般によく知られているのが鎌倉時代に了義坊如一が口伝に改良を加えて新しく創始した一方流です。覚一本系ともいわれています。
特徴として、一方流は建礼門院の後日談を語る灌頂の巻が最後になっています。八坂流では平家嫡流最後の六代の処刑で物語は終わりますので断絶平家とも云われています。
どの平家物語が好みか、吟味してみるのも一興かもしれません。
祇王はどんな女性?
祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きありで始まる平家物語。出家して入道相国となった清盛と祇王の話はかなり早い段階でかたられていますが、物語の全体からみれば、祇王は重要人物ではありませんし、この話そのものが本筋から離れた脇の脇の話です。そのためか、建礼門院や小督たちほど有名ではありません。けれども、祇王や仏御前は今も人の心をとらえています。
祇王は、白拍子という身分の賤しい者でした。父親がなく、母と妹の三人暮らしでしたが、18歳の時に天下を欲しいままにする清盛の寵愛を受け母や妹も贅沢に暮らせるほどの栄耀栄華の身になります。都の者や他の白拍子たちにとって憧れの存在になったのです。そんなある日、仏御前という名の白拍子が清盛の館にやってきます。
「祇王があらんところへは神ともいえ仏ともいえかなうまじきぞ」と一度は追い返す清盛ですが、祇王は「そのようにすげなく追い返しては可哀相だから、せめて対面してあげて欲しい。自分と同じ芸の道をいく白拍子です。そして、歳もまだ若いのですから不憫でなりません」と取りなすのです。祇王の優しさに動かされて清盛は仏の歌と舞を鑑賞します。
ところが、仏御前の舞う姿と歌をすっかり気に入った清盛は仏御前をそのまま館に置き、祇王を追い出します。なんという酷い男でしょう。いつかは別れがくると覚悟をしていた祇王ですが、清盛のあまりのつれなさを嘆かずにはいられませんでした。『萌えいづるも枯るるもおなじ野辺の草いづれ秋にあわではつべき』と書き残して泣く泣く館を去るのです。
祇王にとって情が仇になってしまったわけですが、仏にとっても、そんなつもりはさらさらなく、恩を仇で返してしまったことになり辛い思いをします。ところが、清盛はそんなことは気にも止めていません。いつでも挿げ替え可能な愛でる花でしかないわけです。平家物語では、清盛は女の心を踏みにじる傲慢な男として描かれています。
祇王のことを考えてすっかり気持ちが塞いでいる仏御前ですが、清盛はあろうことか、仏御前を慰めに館に来て歌と舞をしろと追い打ちをかけるように清盛は祇王の心を踏みにじります。もちろん、最初は行くのを断りますが、再三の申し出に母親は天下人に逆らっては都にいられなくなると嘆げきます。
とうとう祇王は母親の気持ちに負けて清盛の館に赴くのですが、座敷はもとの座敷ではなく、遙かに下がったところにしつらえられており、居並ぶ人々の前で屈辱を味わうことになります。その可哀相な仕打ちに仏御前は取りなしますが清盛は聞き入れません。涙を押さえて祇王は、『仏も昔は凡夫なり我等も終には仏なり いづれも仏性具せる身を へだつるのみこそかなしけれ』と歌います。なんと素晴らしい歌でしょう。そこに居並んだ人々は感涙を流します。けれども清盛は仏御前を慰めにまた来るようにと祇王に云い放ちます。
平家物語では、このように可哀相なことをする清盛だったから平家に厄がふりかかるようになったと語るわけですが、私は、清盛と祇王の、男と女の戦いを見ているような気持ちになりました。たかが白拍子の祇王が堂々と清盛と一門の貴族達の前で、隔てることは哀しい行いだと清盛を非難しています。これは覚悟がなければできることではありません。しかもこの後、祇王は清盛の命令に背いて出家してしまうのです。清盛に捨てられ出家することになってしまった哀れな女にはとても思えません。私は、祇王の誇り高い強い意志を感じます。
遊び女として割り切ってしまえば、かつて清盛の寵愛を受けていた女ですから、他の貴族や力のある男達からいくらでも誘いはありましたし、清盛ほどの力がなくとも、貢いでくれる男達によって白拍子として華やかな生活はできた筈なのです。ところが祇王は、屈辱に甘んじることなく、自らの道を歩くのです。当時、清盛の手の及ばないところは出家の道しかありませんでしたが、それでも、粗末な仮小屋に住むことを選んだのです。そこには、自らの手で選び取った穏やかで安ぎの生活があったと思います。
この後に、出家した祇王のところへ仏御前もやってきます。仏御前は祇王の姿に自分の将来を重ね、清盛の館を出て、出家を決心して訪ねてきたのです。清盛に捨てられた祇王よりも捨ててきた仏の方が上だという人も居ますが、私は祇王のその誇り高い姿に仏御前は心惹かれたのではないかと思います。
平家物語は、あわれなりしことどもと、女を憐れんでこの章を結んでいます。
けれども、やはり、清盛は意のままにならない女達に悔しい思いをしたことと思います。日本の歴史上で最も身分差の著しい平安時代にあって、屈することなく自らの道を選び取った誇り高き女がいたわけです。
「祇王かたり」に仏は登場しません。誇り高い祇王を描きたいと思い、敢えて祇王だけにしています。
祇王は実在していない?
祇王が実在したのか架空の人物なのか研究家によって違い、まだ結論は出ていません。実在したといわれる根拠のひとつに、現在の滋賀県野州市、近江の国江部莊中北の地の出身で、この地にに館があった橘次郎時長または九郎時定、他にも保元の乱で討ち死にした北面の武士橘時国の娘といわれています。清盛に寵愛を受けていた祇王の勧進により作られたとされている祇王井川が現存しており、故郷の人々が水不足に困窮しているのを見かねて用水路を作らせたと伝えられています。ただ、父親の名前がはっきりしないように、それを裏付ける確かな資料はありません。
私は実在したとしてもなんの不思議もないと思っています。実証されないからといって、必ずしも実在しなかったとはいえないと思うのです。確かに実証されなければ伝説に過ぎませんが、だとしても、実在した人物を投影していることは否定しきれないし、平家物語を語る尼さんや聴衆の女達にとって、栄華の身となった後も苦難の人々のことを忘れていない。たとえ捨てられてしまっても自らの人生を歩いた女性がいた、いや、なにがなんでもいてほしい、いたのだ、そう語ることで辛い現世を受け入れることを納得できたのではないでしょうか。私はやはりいたのだと思いたい。だから、何世紀も語り伝えられているのだと思います
祇王寺
京都の嵯峨にある祇王寺は、鎌倉時代の創建です。法然上人の門弟良鎮によって往生院が創られ、後に荒廃して一部にあった小さな尼寺が祇王寺と呼ばれるようになったらしいのですが、ちゃんと、鎌倉時代につくられた祇王のお墓もあります。ただし、明治に、京都知事だった北垣国道氏が嵯峨野にあった別荘の一棟を寄贈したのが現在の祇王寺だそうです。
果たして本当に義王が往生院で出家したのかどうかわかりませんが、『祇王二十一にて尼になり、嵯峨の奥なる山里に柴の庵をひきむすび、念仏してこそいたりけれ』と平家物語にはあります。源平盛衰記には「西山嵯峨の奥、往生院というところ」とありますから、嵯峨の奥であることだけは間違いないでしょう。そして、明治時代になると、まるで祇王に導かれるように祇王寺の住職となった花喰鳥の著者の智照尼さんがいらっしゃいます。
花喰鳥の智照尼
明治時代、祇王寺の住職に智照尼という尼さんがいらしっやいました。波瀾万丈の人生を歩み、心の安らぎを求めて出家し、奇しくも祇王寺の住職となったのですが、自伝を書いています。それが花喰鳥というタイトルの本です。
智照尼さんを取材されて瀬戸内寂聴さんが小説を書いていますが、私は、小説にした作品よりも生々しい自伝の花喰鳥に惹かれました。貧しく生まれた女が、ただ人として生きていく為に、これほど背負わなければならない重荷があることに涙が出ました。私生児として生まれた彼女は、母親を捨てた身勝手な父親に親だという権利で売られるのですから、二度も父親に捨てられたことになります。たとえ、売られなかったとしても、彼女が背負わなければならなかった荷物はけっして軽くはなかったと思います。
彼女は男に依存し愛を求めつづけました。けれども、男達に贅沢をさせてくれても真実の愛を与えられることはありませんでした。
智照尼さんの人生は普通の人とは違っていますから特殊かもしれません。けれども、親も人間です。完全じゃない。たとえどんなにりっぱで愛してくれる親だったとしても子供は必ずなんらかの親から受けたトラウマを抱えています。私達は多かれ少なかれその影響を受けて生きています。そして、愛する人と出会えば、良い影響も与えてくれますが傷つけられることもあります。傷ついた時のの苦しさや悲しみは智照尼さんの苦しさや悲しみと重なるのです。その苦しさや悲しさは誰でも味わったことがある苦しさであり悲しさです。智照尼さんは普通の人よりも多く背負わなければならなかった。泥沼の中で足掻き続けながら、それでも自尊心を捨てなかった人だと思います。祇王のように自分というものを再生して生きた女性だと思います。
現女 ?
「祇王かたり」には現代の女性として現女が登場します。名前はありません。それは、現代の女性達の一部分だからです。自分を受け入れて欲しいと願ってそれが駄目だった時、なぜ受け入れてもらえなかったのかと悩み苦しむことは誰しも経験していると思います。そして、自分に自信を失って馬鹿なことをしてしまう。現女の場合は自分自身を傷つけることで、それを自覚しないままに、心の安らぎを得ようとします。
たとえ自信を失ったからといって、そんな馬鹿なことはしないと思われるかもしれません。本当にそうでしょうか。
たとえば、なぜ、自分が苛々するのか、なぜ虚しさを感じるのか、はっきりと自分の感情がわかっている人は少ない筈です。自分が本当に求めているものがなんであるのか、表面に現れることだけでは捉えられないものです。無意識の中に、それがあるからです。
現女もやはり、祇王や智照尼のように親から受けたトラウマを抱えています。そして、始めて心を通わせた恋人を失った喪失感も抱えて生きています。といって、人生について考えることもなく、漠然と生きている女性です。誘われるままにお金になる仕事を選び、こつこつ働くことが馬鹿らしいと感じてもいます。これは特別なことではありません。少し前まで多くの日本人が持っていた感覚だし、今もお金儲けに価値観を持っている人は多いですからね。彼女の仕事が風俗だとしても、考え方に大差はありません。
けれども、彼女が本当に求めているものは贅沢な生活でしょうか。確かに、お金は無いよりあった方がいい。今の社会はお金が生活を安定させるからです。でも、安定した生活をしていても、人は時としてそれを壊してしまう。愛を求めるあまりにです。そう、現女は愛を求めているのです。人は常に愛されたいと願っているものです。誰もが自分自身をありのままに受け入れて欲しいと願っています。そして、誰かを愛したいと願っています。それが人の性であり業です。
琵琶
琵琶を聴いたことがありますか?
実は琵琶には様々な琵琶があります。
雅楽で使われる楽琵琶、平家物語を語る盲僧琵琶、そして薩摩琵琶と筑前琵琶があります。
明治になってから、薩摩琵琶から錦心流が別れ、さらにそこから琵琶を改良して錦琵琶が創流しました。
現在、正派、錦心流、錦琵琶の三派がありますが、錦心流から出た鶴田錦史がさらに琵琶に改良を加えて錦心流鶴田派を立てました。
楽琵琶と平家琵琶は別として、薩摩琵琶は室町時代に薩摩を支配していた島津忠良が武士のの士気を高めるために奨励したことに始まります。やがて江戸も中頃になると士風琵琶として町人に取り入れられました。幕末になると、士風ものと町風ものを合わせ流祖となった池田甚兵衛の琵琶が登場します。明治にこの流れをくむ薩摩琵琶が広く普及して現在に至っています。
筑前琵琶は、盲僧の制度が明治維新によって廃止されてしまったために博多に移り住んだ盲僧の子孫の橘旭扇、鶴崎賢定、吉田竹子らが明治中期に盲僧琵琶に薩摩琵琶や三味線音楽の要素を取り入れた筑前琵琶を創流しました。そのため、薩摩琵琶は勇壮な音色に特徴がありますが筑前琵琶は三味線により近い音色といえます。現在、鶴崎と吉田が衰微してしまい橘流の一派になっています。
どちらも、近年になてから生まれた琵琶なので、洋楽との調和も美しく、その為、コラボレーションも活発に行われています。また、新作へのアプローチも盛んです。
「祇王かたり」は錦心流鶴田派の演奏になります。
琵琶狂言?
琵琶音楽は、流派によって演奏方法や歌い方に違いはありますが、基本は歌と吟詠と演奏で成り立っています。この、基本を崩して、吟詠の部分を役者の語りにし、全体を琵琶による音楽劇に仕立てたのが琵琶狂言です。作者によりますと、同じ日本語ですが、平安と明治と現代では言葉が違っていることに興味を持ったということです。そして、琵琶は語りの音楽です。どのように調和させるか、かなり実験的な芝居になりますので、演出家の力量が試されると思いますが、興味は深まります。
邦楽を使った制作を承ります。
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○ 唄浄瑠璃狂言の他にも琵琶、尺八、囃子といった邦楽楽器を使った音楽劇の制作をしています。
唄浄瑠璃狂言「心中初午桜」「彩描恋糸染」、平家物語シリーズ「鳥羽の恋塚」など。
○ 会主様の趣旨に添った形での朗読の会や踊りの会などの構成台本も承っております。
○ 梅左のペンネームにて芸能評論もしております。
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