清姫異聞…道成寺より
紀州の村々では旱魃が続き困窮していた。雨を司る龍神池を守る巫女たちは龍神の怒りを鎮めるために清姫を捧げようと相談する。その頃、朝廷から雨乞い祈祷のために修験者の安珍が遣わされて来た。清姫は安珍に心を寄せ、安珍もまた夫婦の約束を交わす。
しかし、安珍の祈祷は天に届かず雨は降らなかった。このままではその責任を問われて死罪になる。清姫は安珍を救おうと竜神のもとへと急ぐ。そして…
◎道成寺物語の芸能
巷にひろく伝わっていた道成寺物語を基に創作されたのが能の道成寺ですが後日談になっています。
作者名は不詳で様々な説がありますが、大和猿楽の影響がみられることから世阿弥以前に作られたのではないかと推測されています。今日演じられる道成寺も鐘巻をもとに再構築されたものといわれており、また、東北地方の山伏修験能の鐘巻や沖縄の組踊り執心鐘巻、黒川能の鐘巻など地方芸能として各地にもそれぞれの道成寺ものが伝承されています。
物語の内容は、先の事件で失われた鐘を再興した道成寺で、女人禁制の鐘供養がおこなわれています。
そこへ、白拍子姿の美しい女性が現れ、鐘供養に参加させて欲しいと懇願します。能力達は禁止されていると最初は追い返そうとしますが、白拍子の言葉に負けて供養の舞を舞うのならばと入る事を許します。白拍子は鐘楼に釣り上げられた鐘を見上げると舞始めます。と、辺りはにわかに急変し
ここが有名な乱拍子といわれる小鼓一挺とシテの最大の見せ場、鐘入りです。
この鐘、怨めしやとて…引き被きてぞ、失せにける。
鐘が落ちて白拍子が消えしまったので能力たちは驚き慌てて住持に報告します。
住持は鐘の由来を話すと、鐘に向かい法力の呪文を唱えます。すると鐘が動いて蛇体に変身した白拍子が現れます。そして呪文をはね返そうとしますがとうとう祈り伏せられ、日高の川に還っていきます。こうして無事に鐘は鐘楼に釣られました。
この物語は義太夫の「日高川入相花王」や歌舞伎にも取り入れられて「京鹿子娘道成寺」に代表される道成寺ものが数多く作られました。明治以降も歌舞伎から移行した日本舞踊の他に映画、新劇の舞台、フラメンコ等様々な芸能で新作が作られています。
道成寺の時代
道成寺説話が生まれた時代背景をみますと、律令国家として全国に天皇の支配が進み、貴族や護国寺院による荘園が拡大していた平安初期です。
人々は全国的な飢饉や疫病も続いて苦しんでいます。豊作を祈る雨乞いは沈鐘伝説として全国各地に残っていることから考えても、いかに当時の人々の自然に対する畏敬や願いがこの道成寺物語に込められていたかと想像されます。
道成寺物語に登場する女は日高川に入って蛇に化身しますが蛇は田の神の先触れです。そして、蛇は龍神の変形であり龍神は水の神様です。田には水は必要不可欠なものです。そして、神へ祈るとき、清流にに入って御祓をしますが、水は現世の穢れを払ってくれる神聖なものです。今でも神事を行う時には火や水で禊ぎをしますし、私達も神社にお参りをするときには口や手を水で浄めますが、そのためです。道成寺物語に登場する女は川に入ることで蛇に化身しますが、これは神が憑する巫女と同じだと思いませんか。白拍子は巫女の系譜です。能の後日談で清姫が白拍子の姿で登場するのはそのためです。
この物語は現代でも無縁ではありません。水源争いで国家間に戦争の火種をかかかえている国がありますし、日本は世界有数の仮想水の輸入国なのです。仮想水というのは、農産物に必要な水を換算したものです。日本は多くの農産物を輸入していますからそれに付随した水も輸入していることになります。そして、世界的な水不足になると危惧されている中、北海道などの水源が外国資本によって買い占められていることはあまり知られていません。私達は水をあたりまえのように遣っていますが、実はとても大切な資源であり、美味しい水を手に入れることは容易ではないのです。
自然による災害は世界各地で起こっています。戦争に遣うお金があるのなら、こうした災害の安全対策にこそ、遣って欲しいと多くの人々は願っているのではないでしょうか